中国に進出した日系企業の失敗要因:リボンスクール




石原 享一 先生

文化摩擦と日本人―平和の作法とは/石原 享一

石原 享一
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。1977年一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。神奈川大学、学習院大学の講師を経て、1982年からアジア経済研究所に勤務。その間、1984~86年在中国・日本大使館専門調査員、1992~93年香港大学アジア研究センター客員研究員、1993~94年カリフォルニア大学バークレー校東アジア研究所研究員、1995~96年一橋大学経済研究所客員教授。1996年から現職。1990年度「発展途上国研究奨励賞」受賞。社会学博士(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)








文化摩擦と日本人

中国に進出した日系企業の失敗要因は 

この本のテーマは、帯にも大きく書かれているように、

「武力に依らないで平和をたっせいするには・・・」です。

争いは、相互の理解不足から生まれるもの。

もし、お互いがお互いを尊重することが出来れば、不幸な争いは生じない。

相互の尊重のためには、相手への理解が必要。

民族間の相互不信や誤解をどうすれば取り除くことが出来るか。

親子・兄弟・夫婦間でも難しいこの種の問題の解決法はどこにあるのか?

中国に進出した日系企業の失敗要因は その1

--------------以下本内より引用---------------

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「中国との経済交流が増加している現在、日本と中国両国の

市場経済や企業文化のあり方の差異を知ることは大切なことになります。

中国に進出している日系企業に人材派遣をしているクイック社の和納勉によると、

中国に進出した日系企業の失敗要因は主に人事管理に問題があったという。

日本の中小企業から中国に送られる幹部は工場長など技術畑出身者が多く、

彼らが社会文化の違う中国でマネジメントを行うのは極めて難しい。

対中進出した日系企業にとって日中双方の企業文化を結ぶ

架け橋的な役割を担える人物の存在は不可欠である。

中国に進出した日系企業の失敗要因は その2


そのような架け橋的人物の備えるべき条件とは、

1)コミュニケーションが出来る程度の中国語や日本語の能力を備えていること、

2)日本企業の経営管理の方法や企業文化を身につけていること、

3)中国の社会文化やビジネス慣行についても通暁していること。

の3つである。

日中間に立って中国ビジネスを展開するからには、

中国人従業員や地方政府の役人の脅しに耐えられるような精神的・肉体的な強さも要求されるし、

日本本社のトップを動かせるような説得力も要求される。

そのような要件を満たした人物であれば、

日本に留学したことのある中国人であってもよいし、

台湾や香港出身の人であってもよいし、

中国の現地社会に溶け込もうと努力している日本人駐在員であってもよい。

肝要なのは相互理解と現地適応を促進しようとする人の姿勢である。

中国に進出した日系企業の失敗要因は その3

清川雪舟の最近の研究に、日本・中国・インドにおける近代製紙技術の定着過程を比較分析した大著がある。

それによると、技術導入に成功する条件は、

1)教育の水準(技術教育・初等教育を含む)

2)企業家精神と市場への適応

3)社会の同質性と安定性

の3つからなる。

市場経済や企業文化のあり方はそれぞれの社会のあり方と密接に関連している。

改革解放後の中国は急速な経済成長を実現した。

しかし、他方で市場経済の制度化の遅れ、所得格差・地域格差の拡大、

環境汚染の深刻化、

汚職腐敗の横行など問題が起こっている。

利潤追求の資本主義的原理は日本では企業の社会的責任というオブラートで包まれているが、

中国ではギラギラした生身の形で現われる。

いつ破産やリストラの憂き目に会うともしれないという不安定な社会状況の下で、

中国の企業も従業員も市場経済の規範を守ることよりも、

近視眼的な利益獲得の行動に走っている。

中国に進出した日系企業の失敗要因は その4

「利潤追求の資本主義的原理は日本では企業の社会的責任というオブラートで包まれているが、

中国ではギラギラした生身の形で現われる.。」

という厳しい環境下で、日本のビジネスマンはどう苦労したのでしょう。

--------------以下本内より引用---------------

「ナニワ商人中国奮闘記」を著した西田健一は

文化大革命の頃から改革開放の時代まで40年間にわたって中国ビジネスにかかわってきた人である。

1963年に大阪外大を卒業して丸紅に入社後、

得意の中国語と磊落な性格で「血と酒と涙」の商社マン人生を送ってきた。

西田が中国との合併事業を成功させる第一のカギとして挙げるのは優れた人材である。

日本人でも中国人でもよいが、必ず日本側からしかるべき人物を合併企業に送り込んでおかねばならないl。


中国において多くの事業で成果を挙げてきた西田ですら煮え湯を飲まされたことがある。

つづく・・・・・・・・

中国に進出した日系企業の失敗要因は その5

--------------以下本内より引用---------------

中国において多くの事業で成果を挙げてきた西田ですら煮え湯を飲まされたことがある。

1990年代半ば、ある地方都市におけるブロイラー事業でが合弁相手の中国人を信頼して経営を任せた。

ところが、その中国人は合弁会社の名をかたって銀行から借金し、

その資金を中国側のグループ会社の別の事業に流用していたのである。

日本の中小企業経営者の中には太っ腹で大まかな合意でゴーサインを出す人も少なくないが、

契約は細かく積めておくに越したことはない。

これが、西田の挙げる第二の中国ビジネス成功のカギである。

中国ビジネス成功の第三のカギは・・・・・つづく

中国に進出した日系企業の失敗要因は その6


中国ビジネス成功の第三のカギは政経密着の中国型市場経済システムとの関係がある。

政治が経済に関与することの多い中国では、中央政府や地方政府の要人との人脈も欠かせない。

これは特別な便宜を図ってもらうとか、裏口を使うとかという意味ではない。

むしろ、理不尽な要求をしてくる役人や警察を拒絶したり、合法的な手続きを円滑に進めるために必要なのである。

西田の出会った西安市の副市長(女性)のように、

中央の法と政策の下で融通性を保ちながら、きちんと筋を通す優秀な地方幹部も少なくない。

中国に進出した日系企業の失敗要因は その7

一面では善良な日本人だが、もう一面では貪欲な資本家であると「自認」する小島正憲は

岐阜県にある小島衣料という会社の社長であった。

ご多分に漏れず日本での経営環境の悪化に伴って1991年から中国に進出し、

20年近く縫製加工工場を経営してきた。

中小企業であるから進出の失敗は直ちに会社の破綻につながりかねなリスクを負っていた。

小島が上海、武漢、琿春など中国各地における工場展開から得た実体験は

文化摩擦を克服する知恵に富んでいる。

日本人労働者や技術者はぬるま湯的環境の中で安住してきたために、

社会文化や経営土壌の違う中国におくりこまれた時に、

心身ともに拒否反応を起こす人が少なくない。

ちょっとした困難で日本に逃げ帰ったり、具体的対応策を見出せぬまま精神不安定に陥ったり、

食べ物が合わずにからだをこわしたり・・・・・・、

小島は日本男児のふがいなさにあきれたという。

・・・・・・中略・・・・・・・・

小島によると海外で成功するための条件は2つある。

つづく